Power of solitude

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週末にコントステージを観るため、東京に行ってきます。1か月半前に観たものと同じものを観ます。しかもね、12日の東京滞在中に2回同じものを観に行く予定です。なぜ、飽きもせずに同じものを続けて観劇するのかというと…あの舞台に、ヒマラヤに修行に行った時のような普遍的なスピリットを感じるからです。なので、ヨガの修行に行くような気持ちでコントステージを観に行きます。

舞台の演出や脚本を書いている方は、私と同じ歳。今回の舞台は、コントステージなので笑える舞台なのだけれど、それだけじゃない何かがあるのです。彼の別の舞台DVDや彼の本を読んで、根底に「孤独」がちゃんとある事に気がつきました。
 私が意識的に取り入れている視点に「ホンモノは静か」があります。ホンモノは飾り立てたり、騒ぎ立てたりしない。そういう意味で私にとって、彼はホンモノ。孤独であることから逃げず、人のせいにせず、自分と対峙しながら生きてきた人だと思うから。孤独と共に生きることを覚悟したから人だからこそ、あんな風に筋の通った作品を作り上げることができるのだなと思います。ヒマラヤの山奥で修行して悟りを得たヨガ行者の様に 孤独の末に同志と作り上げたステージコントという悟りの形を観てきます。沢山学ばせてもらおうと思います。十中八九、笑い転げて終わるかもしれませんが。まぁ、それも善。


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# by yoganahibi-miyagi | 2017-04-28 20:00 | エッセイのようなもの | Comments(0)

正常ってなんだろう?

自分は「正常」であって、ノイローゼになる人は自分より一段弱い人間だと思い込んでいる人は意外に多いように思います。そういう発言を耳にするたび、とても残念な気持ちになります。逆にノイローゼになってしまっている人は、自分は人より一段弱い人間だと思っていることも多いように感じます。それは間違いだということを どのように伝えたらいいものかと常々思案し続けていましたが、最近読んだ河合隼雄先生のご著書『コンプレックス』の中に素晴らしく分かり易い比喩があったので、少し長文になりますが、引用したいと思います。

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人生を航海にたとえる人は多いが、今、いまだ遠洋航海が発達していない頃、一つの船をどこかの原住民の港につけて貿易を始めるところを考えてみよう。ここで話を単純化するために、考察の対象として、船長、船、原住民と接触して貿易の品を決める係、の三点をあげる。ここに、船長は自我の中心で、その主体性、判断力を示す。船は全体の能力、統合の可能性である。原住民との接触係は、いちお自我防衛の機能としておこう。原住民およびその貿易品がコンプレックスである。つまり、このコンプレックスとの交渉をうまくやりとげ、船に相応した積み荷を得て出港することが目的である。(途中省略)

 抑うつ症の場合、交渉係は多くの貿易品を得たり、押しつけられてきた。ところが船長は、それら全てを乗せるには船が小さいし、かといって、荷物を残しておくのは惜しい。原住民の方はどんどん荷物を売り込みにくるという状態である。交渉係(自我防衛)も必死になり、船長も必死であるが、優柔不断である。折角の船を改造してこわしてしまうと申訳ないし、折角の荷物を沢山積み残すのも申訳ない。困り果てた船長は遂に海中に身を投げて自殺する可能性も高い。この場合、船の改造に成功し、その積荷に成功した場合は万々歳である。抑うつ症の人の心理治療に成功したとき、その人が以前より成長したことをはっきりと認められることは多い。ここで船長が思い切って積荷を残して出発すればどうか。船はその際「正常に」運行する。ところが往々にして、船長は残した積荷が気がかりとなって帰ってくることが多い。かくて、抑うつ症状はくり返されるわけである。ともかく、抑うつ症の場合はうまくいけば大成功になる可能性をもっているが、優柔不断のくせに責任感の強い船長の自殺の可能性があるだけに、なかなか話は困難なのである。(途中省略)

 不安神経症とは、船長が「ドーン」という不気味な音を聞いた状態である。それが何かは解らない。ひょっとしたら船の故障か、あるいは原住民同士の争いか、大きい荷物を急に乗せたのか、あるいはもっと恐ろしい火山の噴火か、不明なのである。船長としては出来るかぎり身の危険を守ろうと考える以外に方法がない。しかし、この状態はあまり長続きせず、他の状態に移行することが多い。つまり、不安の原因が解るにつれて状態がはっきりとしてくるのである。

 恐怖症や強迫神経症の場合は、原住民の力が強く、色々な物品を押し売りになってきたときである。あるいは、交渉係の判断が甘く、いろんなものを買いこみすぎた場合とも考えられる。そこで、船長はその整理に混乱をきたしているわけである。

 器官神経症の問題や心身症の場合は、この比喩の範囲を越えはじめている。つまり、心の問題のみでなく体の問題も考慮しなければならないので、単純なたとえでは説明しにくくなる。一応、原住民の力が強く、船長や交渉係のみならず、船体までこわされかかっている状態とでも考えておこう。(途中省略)

 以上のたとえで、ノイローゼが生じるのは、ある程度、船、交渉係、原住民、などの間の相対関係であり、ノイローゼになるときは、必ずしも船長が弱いとか、原住民が強いとか言えないことが解ったと思う。

 たとえば、船長も船もしっかりしていたとしても、荷物を多く積みすぎると問題が生じてくるわけである。ここで、船長、船、交渉係、あるいは原住民の強さはどうして決まるのかという点になると、その人の素質や環境についての考察が必要となってくる。(途中省略)

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 舟に荷を積むとき、小さい舟でも小さい荷を積めば問題はない。つまり、このときは正常である。ところが、大きい舟でも、荷がうんと重ければ少しは障害を起こすだろう。この場合がノイローゼである。ここで、この舟が沈没すれば終わりだが、障害を起こしつつも荷物を運び切ったら、こちらの方が「大きい仕事」をしたことになるわけである。この舟と荷物の大きさ、およびその関係は、その人の素質や環境によっていろいろ異なってくるわけである。ここで、どうも荷物が自分の舟に対して重すぎるというので、知らぬ間に他人の舟に少し荷物をのせておいたり、他の舟にひっぱって貰って、自分の舟に故障がないようにすればどうか。このようなひとはノイローゼという意味では「正常」だが、他人には随分迷惑をかけており、時には犯罪者であったりするわけである。

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『コンプレックス』を読み進めながら「なるほど!」と思った個所に付箋を貼っていったのですが、本が付箋だらけになりました~。学術本としても自己啓発本としても読めます。劣等感と優越感の微妙な混在についても書かれていて「カウンセラーもどき」の予防になると思います。ご興味があれば、どうぞ →
 
「正常」を保てているのは、強いからではないし、「正常」を保てなくなったのは、弱いからでもない。船長も船もしっかりしていたとしても、荷物を多く積みすぎると「正常」は保てなくなるのです。

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# by yoganahibi-miyagi | 2017-04-21 20:00 | エッセイのようなもの | Comments(0)

鼻うがいの効果効能

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春先になると止まらなくなる、くしゃみ。周囲にも自分にも「風邪だよ!」と言い続けていましたが、2年前にようやく花粉症だということを認めました。血液検査で、スギやヨモギのアレルギー反応がごっそり出ました。でも私の場合、症状は軽いです。検査ではアレルギー反応がほとんど出なかったパートナーの方が、花粉症の症状がヒドイ。不思議なものです。

私は歯磨きをするように ジャラネーティ(鼻うがい)を習慣にしています。ヨガの世界では、鼻うがいはクリアと呼ばれる体を浄化する方法のひとつ。鼻腔に入ってしまった花粉を塩水で流し出してしまうことができるので、花粉症の方にはもってこいだなと思います。

なにより凄いのは、ジャラネーティを続けると『鈍感力』が身につくことです。塩水を鼻から入れるということは、異物を受け入れるということです。どうしても慣れるまでは力が入ってしまったりして、鼻の奥がツーンとなったり、鼻だけで溺れてしまいそうになったりすることもありますが、抗うことをやめると まるで川が流れるかのように片鼻から片鼻へと塩水が流れるようになります。それが自然にできるようになったころには、花粉への反応も和らぎ、過敏に反応しすぎない「力」が身についています。

SNSを見て、落ち込んだりしてませんか?細かいことが気になって、立ち止まってばかりだなと感じていませんか?花粉症でなくとも、ジャラネーティを習慣にしてみてはいかがでしょう?過敏さゆえの反応の仕方がが、ジャラネーティをすることで変わるかもしれません。

ちなみにスートラネーティといって鼻の穴からゴム紐(カテーテル)をいれて、口が出す浄化方法もありますが、私は苦手です。そこまで鈍感に成りたくないと心が抗っているのかもしれませんね。


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# by yoganahibi-miyagi | 2017-04-14 20:00 | ヨガ | Comments(0)

「それはそれとして」

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 新年度ですね。

3か月ぶりに尊敬する先生のヨガ教室へ。脚の痛みがまだ少しあるのですが、多様性をちゃんと受け入れてくれる教室なので、ひさびさに生徒として参加させてもらいました。90分のレッスンの終盤に「新年に立てた目標を覚えていますか?」と先生から問いかけがあり、瞑想に入りました。

私の今年の目標は『それはそれとして』 何が起こってもやるべきことを淡々とやっていくことを決め事にしました。寒い朝も飲みすぎた朝も「それはそれとして」早く起きる。体を動かし、瞑想し、本を読み、執筆する。腹の立つことがあっても 悲しいことがあっても 脚が痛くても 「それはそれとして」自分の理想とする生き方をする。他人の言動や自分の感情に強く影響されているなと感じたときは、おまじないのように「それはそれとして」と自分に言い聞かせていました。最初のうちは意識的にやっていましたが、3か月もたつと無意識レベルで「それはそれとして」をやれるようになってきていたことに気がつきました。まだまだ理想には程遠いですが、何だかちょっと嬉しくなって瞑想しながらニヤニヤしてしまいました(気持ち悪いね~)

新年度も引き続き、「それはそれとして」どんどん先に進もうと思います。


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# by yoganahibi-miyagi | 2017-04-07 20:00 | エッセイのようなもの | Comments(0)

カノンを聴きながら想う人

 とても美しい絵本に出会いました。

おかしくて、美しくて、少し悲しい、ある友情の物語です。読み終えた後、2人の友人の顔が浮かびました。あらためて2人のことが好きなんだなぁと気づきました。私の勝手な思い込みなのだけれど、2人の共通点は、「情熱を内に秘めている」ところ。立ち振る舞いの端々に孤高さを感じるのです。例えるなら、蓮。泥の中でもそれに染まらずに咲こうとする密やかだけれど強い存在感。束になっていても薄れない個の存在。

カノンを聴きながら読んだ絵本「うるうのもり」を2人にプレゼントしようと思います。

「あなたが好きだよ」という熱い想いを秘めつつ。


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# by yoganahibi-miyagi | 2017-04-04 08:29 | エッセイのようなもの | Comments(0)